そして俺達は決別した


Rised Dragon 4



「秋葉陽介。幸田組の武闘派幹部だ。顔、見たことあるな?」
「ありますよ。もっと男前でした」
「死後、一週間は経過しているそうだ」
「ヤクザのズミってのは、案外便利なもんですね」
 線香臭い個室で達郎は、そんなことを呟いた。
 何度もジャケットのポケットに手を突っ込んでは、思い直したように出している。
 煙草を吸いたいと思うが、流石にそれは躊躇われると仕草が語っている。
「滝上が来るそうだ」
「そりゃ、そうでしょう。アレは秋葉の息子みたいなもんですから」
 滝上の名前に特にと言った反応も見せずに、素っ気無く応える。
 幸田組の滝上順也と日高達郎が昔からの友人であったことは、周知のことだ。
 問題視されたこともあったが、達郎の刑事としての毅然とした態度が緩和した。
「鎖でもつけて、繋いでおけよ」
「俺の犬じゃないですから」
 低く笑いながら、達郎は霊安室の壁に凭れた。
 窓のない部屋のせいか、達郎の顔色が悪く思える。
「タツ、お前、体調でも悪いのか?」
「あぁ、張り込みが続いてたんで。ところで、秋葉、なんで殺されたんです?」
 言って、欠伸を噛み殺す。
「ふうん。ならいいが。秋葉の仕事は手広いからなぁ。過去の事例当たって絞れよ」
「滝上、叩けば早いでしょうよ」
 固いノックの音。
 達郎の応答を待って、扉が開いた。
 目に入ったのは、暗色のスーツ。
 漆黒色のコートを腕にかけて、滝上順也が顔を出した。
 一瞬、達郎と目が合い、静止する。
 暗い部屋の片隅で、達郎の視線が斜め下から向けられる。
 僅かに細められた眦の下がった目。
 不穏に光る眼球。
 普段から湛えた自信はそこになく、見て取れるのは明確な怒りの感情だった。
 達郎の、めったに見せない怒りの感情。
「よう」
 けれども、唇に刻まれたのは笑みだった。
 あてつけのように鮮やかな笑み。
「覚悟はしてたんだろう? ヤクザなんてのはこうやって死ぬんだ」
 すらりと伸びる鼻梁が、達郎の表情に濃い影を落とす。
 皮肉なことしか告げない声が、真摯に響く。
 少し乾いたその声にあるのは、やはり怒りだ。
 ゴツゴツした指先が、遺体の顔に被せてある白布を無造作に落した。
「こうやってな」
 現れたのは、青紫に腫れ上がった人間の顔だ。
 眼球の部分の片方が陥没し、鼻筋が奇妙に歪んでいる。
 身元の判別はこれでは難しい。
 大きな手がかりは、腕に掘り込まれた桜吹雪の刺青だった。
 順也が一瞬息を飲む。
 武闘派のくせに理性的と言われる男の眼に、獣性が浮かび上がりかける。
「桜吹雪でも散らしてなきゃ、身元はわからなかった。殴殺。凶器は金属バット。発見現場は公園のトイレの中だ」
 剥がした布を足元に落として、達郎は再び壁に寄り掛かる。
 普段の人情味溢れる達郎の言葉とは思えないほど冷淡に響くのは、刑事の声だ。
 ただの刑事ではない。
 暴力団を相手に立ち回るマル暴の刑事のもの。
「秋葉さん……」
 かつりかつりと、たどたどしい靴音をたてて順也が遺体に近付いた。
 一歩分の間を空けて、そっと遺体の無残な顔を覗きこんだ。
 その表情に様々な色が浮かんで過ぎていく。
「秋葉、何時から姿を消していた?」
 壁に寄り掛かったまま、達郎が声を掛ける。
 あくまで事務的なそれは硬質すぎる。
「事情聴取なら、令状持って来い」
 俯いて、秋葉の死に顔を見下ろしながら順也。
「吠えるなよ。滝上」
 せせら笑いさえ混ぜて達郎。
 警察署内や事務所と言う、互いのテリトリー内で対峙したことはほとんどない。
 順也の仕事は綺麗なもので、滅多に警察に世話にはなりに来ないのだ。
 だから順也は、達郎がこんな顔をして仕事をし、こんな声で誰かを突き落とし、この姿で威圧するのかと思い知らされる。
「タツ」
「なんです?」
「終わったら呼んでくれ」
 老年の刑事は、この空気を読んでか呆れてか霊安室を出た。
 ぱたりとドアが閉まる音を聞いていた順也の鼻腔に、嗅ぎ慣れた匂いが染みてきた。
 達郎が水色のパッケージから煙草を抜き出し、自分の口に突っ込んだところだった。
 どこへかしこへと置き忘れる、安いライターの石を擦る音。
 ほわりと煙が漂って、一瞬二人の間に幕を作る。
「弔い合戦は終わっちまったか」
 煙と共に吐き出されたセリフに、順也が顔を上げた。
 卑屈に捻じ曲がった全知の眼前で、順也は打ちのめされる。
 綺麗に洗い流した血は、心にはこびり付いたまま。
 その血痕を見られているような居心地の悪さが全身を支配した。
「証拠は?」
「ないから言ってるんだ。上手くやるもんだって、感心したり舌打ちしながらな」
 ごそりと、達郎が壁に凭れたまま姿勢を直す。
 顔色は蒼白。
 眼光だけが、爛々とした光を放つ。
「タツ。お前、どこまで知ってる?」
「言えねぇよ」
 ほうっと息をつきながら、瞼を揉む。
 まるで、手を投げ出すように見える一連の動作は気だるげで、退廃的。なのに、
「お前はお前で動けばいいさ。お前と俺の生きる世界の違いだろう? 俺には俺の仕事と誇りがある。だから、俺はお前を止めるのには命張るさ」
 口にする言葉に諦めはない。
 ふざけるなと言いたかった。
 唇が開きかけて、閉じられた。
 結局、怒りは表に浮き上がらない。
「俺の精一杯の友情を示したのに、か?」
「俺は俺のやり方で、その腐れ爛れた友情だとかを示してやる」
 はたと、長くなった灰がリノリウムの床に落ちた。
 窓もなく、換気扇も回さない霊安室に、紫煙は立ち込め視界を霞ませる。
 苦しいはずだ。
 達郎の体調は尋常ではないはずなのだ。
 普段は自分の力でしゃんと伸ばしている背を、壁に預けているのはその証拠。
 父親譲りの熱い血を巡る下賎な薬物が、この男を内側から狂わしていく。
 順也にはそれが見える。
「何、打った?」
 老刑事が消えてから、気が緩んだのか達郎が無骨な手で顔の半分を覆う。
 ちらりちらりと見え始めるのは、禁断症状だ。
「覚醒剤」
「量は?」
「純度の高いものをうった」
 はんっと、鼻で笑うような声でご丁寧にと吐き捨てる。
 美和を含む三人で、イタリア料理店でしたたかに飲んだ夜。
 酔いつぶれた達郎を、順也が送って行った。
 お互い生きる世界を違えてからは、住所を知らせあっていない。
 尋ねたところで、珍しくも酔いつぶれた達郎が答えるわけもなく、仕方がないから近くの幸田組系列のモーテルに放り込んだ。
 それらの全てが順也の計画だった。
 レストランのオーナーに頼んで、達郎の食べ物に軽い睡眠薬を忍ばせた。
 それから、存分に飲ませて酔わせた。
 潰れた達郎の腕に、注射器の針先を近づけ肌に突き刺した。
 送りこむ液体が、この先この親友の人生を大きく狂わせ、自分たちの間に危ういながらも存在し続けた友情を、こっぱみじんに砕くことは覚悟していた。
 それでも、それが順也にできる達郎のための術の全てだったのだ。
 正義感の強い親友の行動を読んだ末の犯行だった。
「逮捕しないのか?」
「お前を、ヤクの所持なんかでぱくっちゃもったいない」
「何がしたいんだ。お前は」
 善意の犯行を無駄にするべく登庁し、公務につく大馬鹿野郎は答えた。
「明日の自分を想像できない」
 まだ長い煙草を踏みにじり、二本目を銜える。
「二、三日先の自分が想像できなくなったら、死期が近いってことなんだとよ」
 煙。
 濃く、霊安室に漂う。
 線香の匂いも、死臭も消し去るほど濃く香る。
「俺はもうすぐ死ぬんだろう」
 たちこめるる煙の中で、乾涸びた唇を歪めて笑う男の姿が霞んで見えた。


 冷え切った外気が肌を刺した。
 二人のコートが煽られる。
 桜田門に佇む警視庁のエントランスホールを抜けた二人は、北風の吹きつける場所まででて立ち止まった。
 紫煙の替わりに、白い息が流れていく。
 達郎はまた煙草を探り火を点けようとするが、安いライターの火は直ぐに消されてしまう。
 銜えたままの煙草の先に、ふわりと火が差し出された。
 ジッポの火だった。
 安物ライターにはない温かさがあると思うのは、差し出す男の心情を映してなのか。
 達郎はちらりと順也を見る。
 目は軽く伏せられたまま、表情には翳りがある。
 手付きはヤクザのそれ。
 達郎は、大人しく煙草の先をジッポの火に当てた。
 近づけ、すっと息を吸う。
 その高価そうなジッポを、煙草を吸わない順也がどこで手に入れたのか。
「秋葉か」
 大切そうに手中に収め、その感触を確かめてから懐にそれをしまった順也は無言で頷く。
「拾ってくれた。少年院を出て、お袋にも受け入れられない俺を拾ってくれたよ。親父みたいな人だった」
 例え、それが鉄砲玉として利用するための行動だったとしても構わない。
 言外にそう言いきる順也に、何も返すことなく達郎は煙草を短くしていく。
「美和が、悲しむ」
 灰を叩き落しながら、達郎が言う。
「お前がいる」
「俺も、同じことを考えてる」
 笑った。
 儚いと言えるような似合わない笑みだったが、綺麗だとは思った。
 自分の死を宣告した男の笑みだ。
「タツ。病院に行けよ。薬ぬいてこい。お前ならすぐだ。なぁ、頼むから」
 黙れよと言う替わりに、達郎は順也の肩に手を回した。
 それだけで気安い昔からの空気が、一瞬で満ちる。
「決別ってやつだな」
 笑いながら言うことではない。
 けれど、鮮やかに笑う。
「なぁ、順也。礼は言っとくぜ。その心遣いにだけな」
 信頼しているからと委ねられる体重が、高校時代を彷彿とさせる。
 喧嘩をしては、こうしてお互いに体重を委ね合った。
「お前は俺のことをよくわかってるよ。俺以上にな。でも、お前の魂胆にひょいひょいのってやるわけにゃいかねぇのよ。こんな大馬鹿野郎のダチ持ったお前にゃ、同情するぜ」
 何もかもお見通し。
 その上でこいつは笑って見せてくれる。
 いつもそうだ。
 順也の全てを理解し、笑ってくれた。
 時に拳を交えるほど皮肉に、時に順也に弱音を吐かせるほど優しく。
「じゃあな。親友」
 眼が合った。
 清々しいほどの双眸が、ガキのように笑った。 
 肩から外された手が拳を作り、順也の少し曲がった背中を思いっきり叩いてコートのポケットに無造作に突っ込まれる。
「もう、二度と会わないままでいられりゃいいな」
 ぱさりと布擦れの音をたてて、黒いコートが翻った。
 飄々と桜田門を去る背中はしなやかでしゃんと伸ばされ、男を魅了する。
 見送る背中。
 誰かが、達郎の背中を見て言ったことがあった。
 刑事か組員の誰かだろう。
 黒いコートに覆われた背中は丈があるのに、ひょろりと細い。
 背負う背中でも、頼る背中でもない。  
 見送る背中。
 上手いことを言ったものだと思う。
 見送りたくて見送っているのではないけれど、順也は群集に紛れていく背中にそんなことを思った。
 決別。
 お前は決めた。
 決めていたのだ。
 自分が姑息な真似をする、ずっと前から。
 そのやる気のなさそうなタレ目で全てを見透かし。
 背負う桜の大紋にも臆することのない道を、その足で選んだ。
 そうして二人は決別した。

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この決別のシーンが書きたくて書きました(笑)あと背中ですか。
起承転結の転あたりですかね。もうちょっと(!?)続きます。

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