そして俺達は決別した
「秋葉陽介。幸田組の武闘派幹部だ。顔、見たことあるな?」
「ありますよ。もっと男前でした」
「死後、一週間は経過しているそうだ」
「ヤクザのズミってのは、案外便利なもんですね」
線香臭い個室で達郎は、そんなことを呟いた。
何度もジャケットのポケットに手を突っ込んでは、思い直したように出している。
煙草を吸いたいと思うが、流石にそれは躊躇われると仕草が語っている。
「滝上が来るそうだ」
「そりゃ、そうでしょう。アレは秋葉の息子みたいなもんですから」
滝上の名前に特にと言った反応も見せずに、素っ気無く応える。
幸田組の滝上順也と日高達郎が昔からの友人であったことは、周知のことだ。
問題視されたこともあったが、達郎の刑事としての毅然とした態度が緩和した。
「鎖でもつけて、繋いでおけよ」
「俺の犬じゃないですから」
低く笑いながら、達郎は霊安室の壁に凭れた。
窓のない部屋のせいか、達郎の顔色が悪く思える。
「タツ、お前、体調でも悪いのか?」
「あぁ、張り込みが続いてたんで。ところで、秋葉、なんで殺されたんです?」
言って、欠伸を噛み殺す。
「ふうん。ならいいが。秋葉の仕事は手広いからなぁ。過去の事例当たって絞れよ」
「滝上、叩けば早いでしょうよ」
固いノックの音。
達郎の応答を待って、扉が開いた。
目に入ったのは、暗色のスーツ。
漆黒色のコートを腕にかけて、滝上順也が顔を出した。
一瞬、達郎と目が合い、静止する。
暗い部屋の片隅で、達郎の視線が斜め下から向けられる。
僅かに細められた眦の下がった目。
不穏に光る眼球。
普段から湛えた自信はそこになく、見て取れるのは明確な怒りの感情だった。
達郎の、めったに見せない怒りの感情。
「よう」
けれども、唇に刻まれたのは笑みだった。
あてつけのように鮮やかな笑み。
「覚悟はしてたんだろう? ヤクザなんてのはこうやって死ぬんだ」
すらりと伸びる鼻梁が、達郎の表情に濃い影を落とす。
皮肉なことしか告げない声が、真摯に響く。
少し乾いたその声にあるのは、やはり怒りだ。
ゴツゴツした指先が、遺体の顔に被せてある白布を無造作に落した。
「こうやってな」
現れたのは、青紫に腫れ上がった人間の顔だ。
眼球の部分の片方が陥没し、鼻筋が奇妙に歪んでいる。
身元の判別はこれでは難しい。
大きな手がかりは、腕に掘り込まれた桜吹雪の刺青だった。
順也が一瞬息を飲む。
武闘派のくせに理性的と言われる男の眼に、獣性が浮かび上がりかける。
「桜吹雪でも散らしてなきゃ、身元はわからなかった。殴殺。凶器は金属バット。発見現場は公園のトイレの中だ」
剥がした布を足元に落として、達郎は再び壁に寄り掛かる。
普段の人情味溢れる達郎の言葉とは思えないほど冷淡に響くのは、刑事の声だ。
ただの刑事ではない。
暴力団を相手に立ち回るマル暴の刑事のもの。
「秋葉さん……」
かつりかつりと、たどたどしい靴音をたてて順也が遺体に近付いた。
一歩分の間を空けて、そっと遺体の無残な顔を覗きこんだ。
その表情に様々な色が浮かんで過ぎていく。
「秋葉、何時から姿を消していた?」
壁に寄り掛かったまま、達郎が声を掛ける。
あくまで事務的なそれは硬質すぎる。
「事情聴取なら、令状持って来い」
俯いて、秋葉の死に顔を見下ろしながら順也。
「吠えるなよ。滝上」
せせら笑いさえ混ぜて達郎。
警察署内や事務所と言う、互いのテリトリー内で対峙したことはほとんどない。
順也の仕事は綺麗なもので、滅多に警察に世話にはなりに来ないのだ。
だから順也は、達郎がこんな顔をして仕事をし、こんな声で誰かを突き落とし、この姿で威圧するのかと思い知らされる。
「タツ」
「なんです?」
「終わったら呼んでくれ」
老年の刑事は、この空気を読んでか呆れてか霊安室を出た。
ぱたりとドアが閉まる音を聞いていた順也の鼻腔に、嗅ぎ慣れた匂いが染みてきた。
達郎が水色のパッケージから煙草を抜き出し、自分の口に突っ込んだところだった。
どこへかしこへと置き忘れる、安いライターの石を擦る音。
ほわりと煙が漂って、一瞬二人の間に幕を作る。
「弔い合戦は終わっちまったか」
煙と共に吐き出されたセリフに、順也が顔を上げた。
卑屈に捻じ曲がった全知の眼前で、順也は打ちのめされる。
綺麗に洗い流した血は、心にはこびり付いたまま。
その血痕を見られているような居心地の悪さが全身を支配した。
「証拠は?」
「ないから言ってるんだ。上手くやるもんだって、感心したり舌打ちしながらな」
ごそりと、達郎が壁に凭れたまま姿勢を直す。
顔色は蒼白。
眼光だけが、爛々とした光を放つ。
「タツ。お前、どこまで知ってる?」
「言えねぇよ」
ほうっと息をつきながら、瞼を揉む。
まるで、手を投げ出すように見える一連の動作は気だるげで、退廃的。なのに、
「お前はお前で動けばいいさ。お前と俺の生きる世界の違いだろう? 俺には俺の仕事と誇りがある。だから、俺はお前を止めるのには命張るさ」
口にする言葉に諦めはない。
ふざけるなと言いたかった。
唇が開きかけて、閉じられた。
結局、怒りは表に浮き上がらない。
「俺の精一杯の友情を示したのに、か?」
「俺は俺のやり方で、その腐れ爛れた友情だとかを示してやる」
はたと、長くなった灰がリノリウムの床に落ちた。
窓もなく、換気扇も回さない霊安室に、紫煙は立ち込め視界を霞ませる。
苦しいはずだ。
達郎の体調は尋常ではないはずなのだ。
普段は自分の力でしゃんと伸ばしている背を、壁に預けているのはその証拠。
父親譲りの熱い血を巡る下賎な薬物が、この男を内側から狂わしていく。
順也にはそれが見える。
「何、打った?」
老刑事が消えてから、気が緩んだのか達郎が無骨な手で顔の半分を覆う。
ちらりちらりと見え始めるのは、禁断症状だ。
「覚醒剤」
「量は?」
「純度の高いものをうった」
はんっと、鼻で笑うような声でご丁寧にと吐き捨てる。
美和を含む三人で、イタリア料理店でしたたかに飲んだ夜。
酔いつぶれた達郎を、順也が送って行った。
お互い生きる世界を違えてからは、住所を知らせあっていない。
尋ねたところで、珍しくも酔いつぶれた達郎が答えるわけもなく、仕方がないから近くの幸田組系列のモーテルに放り込んだ。
それらの全てが順也の計画だった。
レストランのオーナーに頼んで、達郎の食べ物に軽い睡眠薬を忍ばせた。
それから、存分に飲ませて酔わせた。
潰れた達郎の腕に、注射器の針先を近づけ肌に突き刺した。
送りこむ液体が、この先この親友の人生を大きく狂わせ、自分たちの間に危ういながらも存在し続けた友情を、こっぱみじんに砕くことは覚悟していた。
それでも、それが順也にできる達郎のための術の全てだったのだ。
正義感の強い親友の行動を読んだ末の犯行だった。
「逮捕しないのか?」
「お前を、ヤクの所持なんかでぱくっちゃもったいない」
「何がしたいんだ。お前は」
善意の犯行を無駄にするべく登庁し、公務につく大馬鹿野郎は答えた。
「明日の自分を想像できない」
まだ長い煙草を踏みにじり、二本目を銜える。
「二、三日先の自分が想像できなくなったら、死期が近いってことなんだとよ」
煙。
濃く、霊安室に漂う。
線香の匂いも、死臭も消し去るほど濃く香る。
「俺はもうすぐ死ぬんだろう」
たちこめるる煙の中で、乾涸びた唇を歪めて笑う男の姿が霞んで見えた。
冷え切った外気が肌を刺した。
二人のコートが煽られる。
桜田門に佇む警視庁のエントランスホールを抜けた二人は、北風の吹きつける場所まででて立ち止まった。
紫煙の替わりに、白い息が流れていく。
達郎はまた煙草を探り火を点けようとするが、安いライターの火は直ぐに消されてしまう。
銜えたままの煙草の先に、ふわりと火が差し出された。
ジッポの火だった。
安物ライターにはない温かさがあると思うのは、差し出す男の心情を映してなのか。
達郎はちらりと順也を見る。
目は軽く伏せられたまま、表情には翳りがある。
手付きはヤクザのそれ。
達郎は、大人しく煙草の先をジッポの火に当てた。
近づけ、すっと息を吸う。
その高価そうなジッポを、煙草を吸わない順也がどこで手に入れたのか。
「秋葉か」
大切そうに手中に収め、その感触を確かめてから懐にそれをしまった順也は無言で頷く。
「拾ってくれた。少年院を出て、お袋にも受け入れられない俺を拾ってくれたよ。親父みたいな人だった」
例え、それが鉄砲玉として利用するための行動だったとしても構わない。
言外にそう言いきる順也に、何も返すことなく達郎は煙草を短くしていく。
「美和が、悲しむ」
灰を叩き落しながら、達郎が言う。
「お前がいる」
「俺も、同じことを考えてる」
笑った。
儚いと言えるような似合わない笑みだったが、綺麗だとは思った。
自分の死を宣告した男の笑みだ。
「タツ。病院に行けよ。薬ぬいてこい。お前ならすぐだ。なぁ、頼むから」
黙れよと言う替わりに、達郎は順也の肩に手を回した。
それだけで気安い昔からの空気が、一瞬で満ちる。
「決別ってやつだな」
笑いながら言うことではない。
けれど、鮮やかに笑う。
「なぁ、順也。礼は言っとくぜ。その心遣いにだけな」
信頼しているからと委ねられる体重が、高校時代を彷彿とさせる。
喧嘩をしては、こうしてお互いに体重を委ね合った。
「お前は俺のことをよくわかってるよ。俺以上にな。でも、お前の魂胆にひょいひょいのってやるわけにゃいかねぇのよ。こんな大馬鹿野郎のダチ持ったお前にゃ、同情するぜ」
何もかもお見通し。
その上でこいつは笑って見せてくれる。
いつもそうだ。
順也の全てを理解し、笑ってくれた。
時に拳を交えるほど皮肉に、時に順也に弱音を吐かせるほど優しく。
「じゃあな。親友」
眼が合った。
清々しいほどの双眸が、ガキのように笑った。
肩から外された手が拳を作り、順也の少し曲がった背中を思いっきり叩いてコートのポケットに無造作に突っ込まれる。
「もう、二度と会わないままでいられりゃいいな」
ぱさりと布擦れの音をたてて、黒いコートが翻った。
飄々と桜田門を去る背中はしなやかでしゃんと伸ばされ、男を魅了する。
見送る背中。
誰かが、達郎の背中を見て言ったことがあった。
刑事か組員の誰かだろう。
黒いコートに覆われた背中は丈があるのに、ひょろりと細い。
背負う背中でも、頼る背中でもない。
見送る背中。
上手いことを言ったものだと思う。
見送りたくて見送っているのではないけれど、順也は群集に紛れていく背中にそんなことを思った。
決別。
お前は決めた。
決めていたのだ。
自分が姑息な真似をする、ずっと前から。
そのやる気のなさそうなタレ目で全てを見透かし。
背負う桜の大紋にも臆することのない道を、その足で選んだ。
そうして二人は決別した。
この決別のシーンが書きたくて書きました(笑)あと背中ですか。
起承転結の転あたりですかね。もうちょっと(!?)続きます。