幸田組の幹部・安達の遺体が、上がったのはその三日後。
ナイフで数十ヶ所をメッタ刺しにされた死体が、路上駐車の車両のトランクから発見された。
死体は死後一週間以上経過し、遺留品から身元も割れた。
遺体が隠されていた車は、殺害された安達の物。
凶器のナイフは指紋を拭われ、男に突き刺さったままだった。
ポピュラーなタイプで、巷には溢れている。
凶器からの犯人探しは困難であると見られている。
一月の内に同じ暴力団の幹部が二人、殺害され打ち捨てられた。
警視庁捜査四課がこの事態を見逃すわけもなく、開成連合系幸田組を中心に都内暴力団事務所への警戒の目は強まった。
最悪の場合、大きな戦争になる。
四課だけではなく、この緊迫した事態は警視庁全体に広まった。
そんな事態の桜田門から、捜査四課のホープが姿を消した。
いつもは雪崩が起きそうなほど乱雑なデスクの上が綺麗に片付けられ、鍵をかけているはずの一段目の抽斗の中身は空になり、開いていた。
まるで、身辺整理をしたようなその席に、座るべき人物はいないまま。
日高も四課の連中から事情を聞かれたが、てっきり本庁に詰めていたと思っていた父親には、何も答えられることはない。
それでも親かと罵られても、言い返す言葉はない。
幸田組に手を出し始めてから、どうも様子がおかしかったと言われてはいたが、失踪するとは思ってもいなかった。
幸田組と関係があるのは確かだ。
友人がいるとは聞いてはいたが、達郎がそのことで幸田組に固執したことはなかったし、警視庁に詰めている時はあくまで刑事。
公務を終えた後の動向は知らないが。
今回の混乱について、一部では内部分裂ではないかと言う見方もある。
発見された安達が、秋葉陽介殺害の犯人ではないかと言うのだ。
となれば、安達殺害の容疑が濃くなるのは、秋葉の弟分の滝上順也だ。
四課の捜査は難航しているらしい。
相手が日本でも屈指の暴力団・開世連合だからだろう。
日高の利用している情報屋から連絡があったのは、その日の午後だった。
内部分裂の兆しは確かにあると。
秋葉が組長の幸田祐二と、ソリが合わなくなっていたと言う。
達郎は何かを掴んでいたのだ。
友人が事件の渦中にあると知って、黙っていられるような男ではない。
「あの馬鹿息子が」
苦く呟くと、電話の向こうで情報屋で困惑気な溜息が聞えた。
「達郎君の身辺を少し洗ってみようか。滝上順也との関わりを見直した方がいいんだろう? それに、あんたはどうせ息子の学生時代なんかは知らないんだろうから」
最後の一言は、決して嫌味ではなかった。
その分、日高の苦笑いは濃く浮かんだ。
電話を切った日高は、迷宮入りの事件の資料を投げ出して席を立った。
定年間近で前科持ちの老刑事の動きに眼をやる者は、皆無。
日高が向かったのは、捜査二課のブースだった。
そのブースの奥に、やはり日高と同じく老いぼれ、デスクワークしか回してもらえなくなった刑事が一人いる。
窪んだ眼球が、異様な底光りを見せる。
門脇と言う、日高と同期の叩き上げ刑事だ。
過去、一課に所属していた頃に日高と組んでいたことがある。
日高が事件を起こしてからは犬猿の仲。
「なんだ。日高か。何しに来た」
二課のブース。
日高の姿を認めるなり、露骨に嫌な顔をする。
老眼鏡が顔にめり込んでいるかのような顔は、ブルドッグを連想させた。
「相変わらずだな。門脇」
老体ながら肩幅があり恰幅がいい門脇と、長身で痩せている日高が並ぶとまさにデコボココンビのようで、笑いを誘う。
「ちょいと、お前に頼みがあるんだが」
今では警視庁捜査課でも有名な犬猿の仲である二人が、過去に警視庁切っての名コンビとされたことは、信じようにも信じられない門脇の渋面。
「俺に貸しをつくっときゃ、何かと便利なんじゃないのか?」
「それもそうだな。聞いてやろう」
まさに子供の喧嘩。
意地の張り合い。
過去の名残を爪の先ほどに垣間見せて、老刑事二人は庁舎を出た。
「倅ぇ、どうした?」
「それを相談しようってんだよ」
不自然な距離を置いて並んで歩く二人の刑事は、そのまま言い合いを続けながら喫茶店のドアを押した。
「マル暴が必死になってる件だがな。ありゃ、内部分裂だ」
コーヒーが運ばれる間同じタイミングで二人はジャケットを探り、日高は濃紺、門脇は赤い箱の煙草を取り出して、似た仕草で銜える。
お互い微妙にずらそうと試みてはいるのだが、それが逆にタイミングを合わせてしまっている。
「……」
「……」
苦虫が何十匹と潰されるような一拍の間を置いて、日高は喫茶店のマッチで、門脇は安物らしく模様も擦り消えたジッポで火を点ける。
吸い込み吐き出す間に、ウェイトレスがコーヒーを運んできた。
「ってぇことは、秋葉が幸田を裏切って返り討ちにあって、その復讐に滝上ってぇ小僧が安達殺したってのか」
要領を得ている門脇の前で、日高が鼻を鳴らした。
「暇なんだな」
他の課の事情を、そこまで把握してるとはと。
「やかましい。で、なんで幸田の懐刀の秋葉が幸田を裏切ったのかだ」
「秋葉は賢い野郎だってな。よっぽどのことでないと、こんな阿呆なマネはしないだろう。で、秋葉なんてのはいいんだよ、死んじまってるから。問題はうちのドラ息子だ」
「けっ、こんな時だけ父親面かよ」
「やかましい。いいから、お前さんはどうにかして幸田組あらってくれよ」
人にものを頼む態度じゃないが、日高にこれ以上を求めても仕方が無い。
こうと決めたら曲げやしない男だ。
それでも、数十年前の事件の時のように、一人で黙って突っ走ってもらうよりはずっとマシだった。
「お前さんはどうするんだ?」
「俺は可愛い倅を探す」
可愛いと言ってみたり、ドラだと言ってみたり。
この男が、自分で殺ると決めた男を殺してから心神喪失状態に陥った時に、救いの手で襟首をひっつかまえて無理矢理に眼を醒まさせたのは、息子の達郎だった。 門脇の呼びかけにも反応しなかった相棒が、息子の声に応えた。
手を汚そうとする相棒も、生きることを放棄した相棒も、自分では救えなかったと思うと情けなかった。
自分への苛立ちと、背負うものを分けることもしなかった相棒への苛立ちが、二人の間に溝を作ったのだ。
子供の喧嘩だと思わないでもないが、引くに引けない男同士だ。
素直になれはしないが、決して憎みあっているわけではない。
「仕方がねぇなぁ。この貸しは高ぇぞ。覚えとけ」
「お前への貸しはいつだって高い」
違いないと笑った門脇が、日高が手を伸ばしていた勘定を奪い取って、それでしっしと追いやってみせた。
深夜になって、情報屋からの連絡が入った。
「悪いがな、日高さん。バッドニュースだらけだ」
情報屋は、開口一番でそう告げた。
「警察官が聞くのは、いつだってバッドニュースさ」
確かにと言うと、情報屋は意を決したように息子の過去を語り始めた。
見かけ通りの悪ガキで過ごした高校三年間の最後の年に、友人の滝上順也が殺人容疑で逮捕された。
友人の落合美和と言う少女の強姦犯を殺害したらしい。
「タツは何してた?」
あの男が、黙って友人が犯罪に手を染めるのを見ているはずが無い。
「実家に帰ってたんだよ。日高さん。これは偶然だがな、落合美和が強姦された日、あんたの奥さんと娘さんが殺されてる」
美和の元に駆けつけた達郎は、その病院で母と姉の訃報を聞く。
その足で、警察病院の霊安室に向かったのだ。
何を考えただろう。
あのドラ息子は。
「……そうかい」
「そうだ。それと、滝上順也だがな、かなりヤバイな」
「ヤバイ?」
「爆弾を背負ってる。安達殺しは滝上の仕事だ。自分の兄貴分を殺したんだからタダで済むわけがない。滝上順也は賞金首だ。破門状も回されている」
内部抗争だ。
「滝上の動機は復讐で、安達の秋葉殺しは裏切りを恐れた幸田の命令だ。じゃぁ、秋葉はなんで幸田に盾突いた?」
暫しの無言。
日高と親しい情報屋は、胸内で思うことがあるのだろう。
その覚悟までの時間を待つ。
「これは、確かな情報じゃない」
前置きをしてから、情報屋は苦々しい声でこう言った。
「達郎君は一つの事件を追っていたらしい。彼の最近の動きから割り出したことだけどね。彼が追ってたのは、暴力団じゃなかった」
思わせぶりな間を置いて、情報屋は続けた。
普段は感じない声の低さが耳に不快だ。
不快さを飲み込むように、国産の安いウィスキーを煽った。
「達郎君が探っていたのは、警察内部の汚職らしい」
膨れ上がった不快さが、喉を焼いて滑り落ちていった。
だんだんと事件らしい事件になってきましたね(笑)
もっと頭使えよ、自分。だから、腐るんだ。