30000hit企画
学園祭 4



 開会式では川中学園長が大いに生徒を煽っていたが、ともかく無事に終了した。
 学外からのお客が校内に入るのはもう少ししてからだ。
 すでに開会式時点でげっそりしている生徒も何人かいるが、祭りは祭り。
 踊らにゃ損である。


「……俺、これ指名料って読めるんだけど」
「あぁ、俺にもそう読めるから安心しろ」
「安心できるか!」
 F組の喫茶店の入口。
 大きなパネルには情けないようなそれが可愛いような、ともかく決してニコリとはしていない接客嬢達の写真が用意されていた。
 その写真の下には女子一同のつけた源氏名と¥マークに続く数字がある。
「儲けなきゃ、損でしょ? せっかくあんた達に男の沽券捨ててもらったんだから」
 捨ててない。
「さっ、あんた達はさっさと着替えて。今日一日で稼ぐわよ! 金一封もうちのもん!」
「おー!!」
 廊下にまで響く声で気合を入れたF組の教室の後方の簡易の更衣室は重い重い溜息に満たされていた。
「ホラ、坂井、着替えようぜ」
「なんでお前はそんなに楽しそうでいられるんだ」
「そりゃ、可愛い坂井が見れるから」
 男らしいガクラン姿から一転して、可愛らしい少女の姿になる坂井は写真取りの時にも充分堪能したが、何度見ても飽きない可愛らしさなのだ。
「着替えた奴から出てきてねぇ。しっかりメイクしてあげるからぁ」
 明らかに楽しんでいるとしか思えない声が暗幕で区切った外から聞えてくる。
「はいはい、お待たせ」
 女装組の中でも異様なテンションの高さの下村が先陣を切って出て行った。

 やはり妙な野郎だと、憮然として営業スマイルなどとてもじゃないが作れそうにないでいる連中はしみじみと思ったとか。
下村いただきました〜v 下村は優しいアイボリーのシャツに、レトロな模様と色使いのスカーフにタイトスカートと言った出で立ちで、余裕の笑みを振りまいていた。
 レトロ調の服装は下村の色素の薄い髪や目や肌によく似合う。
「下村くん、私なんかよりもずっと大人の女なんですけど」
 同級生の女の子のお姉さんから借りてきたというその服は、同級生には着こなせないかもしれないが、下村が着ればそつがない。
 下村は自分のことをよくわかっている男だから、自分の恰好に似合う仕草をすぐに身に付けてしまう。
 ほうっと見惚れて溜息をつくのは女子ばかりではなく、女装を逃れた男子達もだ。
 下村が色素の薄い髪の毛に小さな花のついたヘアピンをつけて完成にいたるまでに、他の男子達も渋々と出てきていた。
 みんなそれなりに、ではあるがやはり下村には敵わない。
 なんと言っても下村はクラスでの投票が二位。
 期待されていた男である。
 しかし、一位はまだ顔を出していない。
「坂井は?」
「まだだぜ。なんかこの世の終わりみたいな悲愴な面してたけど」
 気持ちはわかる、とファンデーションを塗られた肌を気にしながらクラスメイトは言う。
「お前と違って坂井には羞恥心があるんだろう」
「失礼ね」
 下村敬、綺麗ではあるが決して可愛くはない男である。
「さっかいー、あんたいつまでそこにいる気よー」
「さっさと出て来なさい」
「ナオちゃーん」
 天岩戸状態だ。
 だが、坂井も馬鹿ではない。
 これ以上駄々を捏ねて出て行かなければ余計に恥ずかしいだけだ。
 誰もいなくなった更衣スペースから坂井はそろりと顔をのぞかせた。
「お、観念したか」
 ずらっと動いた視線は、一斉に坂井に突き刺さった。
 途端にかぁっと坂井の頬が紅潮していく。
 それがまた見る者の胸を刺激する。坂井もいただきました〜vv
 約一名、坂井に集中する視線を一掃してしまいたいと、切実におっかないことを願っている人間もいるが。
 坂井の黒々とした髪の毛や瞳を生かすために選ばれた服は、アジアンチックなもの。
 マオカラーの麻色の地の襟元や袖には小さいが鮮やかな赤い刺繍が入っている。
 スカートは同じく赤で、長くゆったりしたシルエットを見せる。
 サンダルの足下がどこかおぼつかなくて、それがまた可愛いく見せる。
 羞恥のためにどこか潤んで見える目や赤くなった頬がますます可愛い。

「……やっべぇ……」
 男子一同の心の声を代弁した一言が、どこからともなく零れてきた。
「……なんか、アレね。ここまでやっといてなんだけど、あんた達、ムカツクわ」
 女子一同の心の声も代弁される。
 女装した男子達にはこれ以上ないほど酷い言葉ではあったが。
「……勿体無い」
 綺麗に飾り立てられて立ち姿から様になっている下村が、苦虫を何百匹と噛み潰したような顔をして女の子の手から解放された坂井に言った。
 黒々とした髪の毛にポツリと咲いた花は椿を模している。
 普段、坂井は赤いものなんてあまり身につけないがこうして見るとよく似合った。
「何が」
 いつもよりも不機嫌さ1.5増。
 低い声はその姿に似合わないほどにドスがきいている。
 それでも下村は構わないようだ。
「こんなに可愛いのに、みーんなに見せなきゃなんないなんて」
「ふざけんなよ」
 言い方が本気の本気だったので、下村は大人しく口を閉じた。
 可愛いのに、と胸のうちだけで呟きながら。
「あ、ねぇ。叶先生は?」
「そういえば、アレから見ないわね」
 ホームルームの時間に大崎先生にセクハラされたのだと告白してから。
 叶もクラスの投票で三位につけていたので、勿論女装組である。
 一人だけ妙に浮かれていたが、大崎先生からのセクハラが堪えたのかあれから姿がない。
「見回りとかじゃねぇの? 今年はなんか強化するとか言ってたし」
「えー? 叶先生は午後からだって言ってたわよ」
「大崎センセに捕まってんじゃねぇの」
「いや、PTAに捕まってんだろ」
「っつーか、警察に……」
 ざわざわと自分達の担任の確保先を推測するのにざわめく教室のドアがガラリと開いた。
 そして、教室は静寂に包まれた。
「おまたせー」
 頑張ってはいるものの男声の持ち主は、艶やかに笑って見せた。
『……PTAを呼べ!!!』
 声にならない声が一斉にそう叫ぶ中、彼等の担任は喪服の着物袖をひらりと返した。
 似合っていないわけではない。
 むしろ似合いすぎている。
 叶は普段から明るさと不吉さを併せもつ奇妙な空気を放っている人間である。
 陽にやけない肌に睫毛や鼻梁の陰が落ちている。
『……ひょっとして狙いは……』
「どうだ? 未亡人」
『やっぱりぃ!』
 凍りついた教室も徐々に機能を取り戻す。
「なんだ。みんなの反応が悪いからはずしたのかと思って心配した」
「いや………はずしたって言うか……、教育者としてどうかと思ったというか……、まぁ、でも似合ってますからいいです」
 未亡人、と言っても絶対にAVに出てくる未亡人ではあるが。
 どうでもいいが、ド迫力である。
「うちの担任って実はアホなんじゃ……」
「言うなっ。ノリが良くていい先生じゃないかっ。この冬を越えればクラス替えなんだから」
 などというまっとうな生徒の意見の声も聞えてくるが、叶は黙殺した。
「さ、時間だ。F組女装喫茶開店―」


「いやぁ、安見、可愛かったなぁ。秋山」
「うるさい」
「花嫁衣裳が楽しみだ」
「うるさいぃ」
「今日のビデオが結婚式のメモリアルビデオってことになったりなぁ」
「川中、うるさいぃい!」
 体育館での初っ端のステージ発表は安見のクラスで、川中は舞台の上の可愛らしいジュリエットの姿だけでなく、隣のパイプ椅子でこれ以上ないくらいに情けない顔をした友人の顔も拝むことができて上機嫌である。
 いつも冷静な秋山にしては珍しく、劇が終わった後もしかめっ面のままで川中のからかいにも半ば本気で言い返してきた。
 かと言って、このお祭り騒ぎの校内を一人でうろつくのも淋しいのか、からかいと文句の応酬をしながらも二人は並んで各クラスの出し物・展示物を見て回っていた。
 秋山の警備担当の時間も午後からなのだ。
 ちょうど、藤木と交代する時間だ。
「そういや、奥方は何してるんだったかな?」
 秋山をからかうのにも飽きて、川中は不意に話をそらす。
 そんな話題転換もいつものことなので、秋山もすぐに応じることができる。
「遠山先生と沢村先生と一緒に教師有志のジャズ喫茶だ」
「あぁ、そうだった。いいな。沢村先生のピアノを聞きながらあの極上のコーヒーが飲めるわけだ。行って見るか」
「そうだな。菜摘もそろそろ戻ってるだろうし」
 さっきのステージを菜摘もどこからか見ていたのだろう。
 愛娘の晴れ舞台だ。
 ただし、父親のように将来巣立つ日を思って取り乱したりはしていないだろうが。
 ジャズ喫茶は特別教室等の三階の音楽室だ。
 調理室のある一階は模擬店でいくつかのクラスが共同使用している上毎年えらい繁盛するのでかなりの混雑振りを見せているが、三階になると人の姿もまだらになる。
 学園祭中かかりっぱなしの校内放送も、三階だけは沢村の演奏を考慮してオフにしてある。
 外から聞えてくる流行の音楽よりも、この廊下では沢村の上質なピアノの音の方が大きく聞えてくる。
 それから、コーヒーの香ばしい香り。
 ダンボールや画用紙を切り貼りした看板より先に足を進め、廊下の突き当たりのドアを開くとそこが音楽室だ。
「あら、今日一番のお客様ね」
 机を寄せ集め、カセットコンロを持ち込んだ簡易の調理場から菜摘が声をかける。
 のんびりと椅子に腰掛けているように見える遠山もこの喫茶店の主催者だ。
 無造作に置いてあるように見える絵画は遠山の作品だ。
 過去、賞を受賞した作品も置いてあったりする。
 随分と豪華な喫茶店だが、ステージ発表がまだ続いていたり昼飯前ということもあり、一階に人手が集中しているせいで客はいないらしい。
 生徒はまだしも、学外から遊びにくる人の中にはこの喫茶店が目当ての人も少なくないはずだ。
「はい、どうぞ」
 と、コーヒーを差し出してくれたのは遠山だった。
「遠山先生は今日はウェイターなんですか?」
「絵は昔書いたものばかりだし、私にできるのは老いたウェイターくらいなものだよ」
 そう言って笑う遠山の声はいつもの落ち着いた声よりも少し浮き足たっているように感じられた。
 滅多にできない給仕役や、生徒と一緒になって行うお祭り騒ぎに参加していることが楽しいのだろう。
 グランドピアノの前に座って演奏を続ける沢村の選曲も、いつも彼が授業の後などに川中達に聞かせる曲よりもずっと明るい。
「楽しそうですね。先生」
 香りのいいコーヒーにゆっくり口をつけながら川中が笑う。
「楽しいね」
 孫くらいに年の離れた生徒達と一緒に興奮しているなんて。
 ばれたことを開き直るような遠山の口調に少年のような印象をうけて、川中と秋山はこっそりと笑った。
「お、やっぱり先を越されてたか」
 静かな会話、演奏に聞き入っていた川中達がドアの方を振り返ると、そこには立野がいた。
 立野も自分のクラスが午前中のステージ発表だったため、見回りは午後からだ。
「いらっしゃい」
「豪華な喫茶店だなぁ」
「この学校だからできることだな」
「まったくだ」
 川中達の隣に腰を降ろした立野の額には薄っすらと汗が滲んでいる。
「混雑すると思って走ってきたのか? 汗かいてるぞ?」
「あ? あぁ、ここに来る前にな、ちょっと運動に似たことをしてきて」
 くっくっくと笑いを殺しながらわけのわからないことを言う立野に、川中は首を傾げた。
「からかうのに汗をかかないとならん奴を一人、からかってきた」
 にっと悪戯の成果を暴露する少年のような表情の立野の言葉に、川中は瞬時に立野がどこに寄ってからここに来たのかを知る。
「楽しかったな。想像していた以上に」
 普段、こんなに楽しそうな顔をすることがない立野だ。
「あー、いい目の保養をした。次は耳と舌の保養だな」
「何の話かな?」
 コーヒーを運んできた遠山に、立野はさきほどまでの出来事を聞かせてみせた。


 数分前。
「いらっしゃいまっせー」
 F組の入口で愛想を振り撒くのは女性徒だった。
 にこやかな営業スマイルでパネルを見せる。
「いい娘、そろってますよー」
 この子はひょっとして、繁華街の裏通りで客引きなんかをしているのではないだろうかと疑わせるものがある。
「教師用の特別価格とかないのか?」
「アリマセーン。学園祭なんて、生徒もセンセも一緒になって楽しむモノでしょ?」
「そりゃそうだ。そうだなぁ……」
 パネルに張られた写真に映っている生徒+αは+αの男を除き、どいつも不本意そうなしかめっ面で写っている。
「そうだなぁ……、坂井、かな?」
「かしこまりましたっ。ナオちゃーん、ご指名でぇす」
 この子は、ひょっとしたら繁華街のそういう店で働いて……以下省略。
「あぁ!? なんで俺ばっかなんだよ! 休憩させろ!」
 立野が苦笑を浮かべていると、ざわざわと賑やかな教室内から怒声が聞えてきた。
「指名されてる内が花なのよ!」
「はぁ!?」
 声の主がどんな顔をしているのか容易に想像ができた。
 立野はひょこりと室内に顔をのぞかせた。
「なんだ、坂井。そんなに俺の接待は嫌か?」
「げっ! 立野先生!!」
 姿は写真の通り愛らしい姿なのに、物言いまでは一朝一夕でただせるものでもない。
 坂井がこの催しのためにそんな努力をするわけがない。
「おー、立野。いらっしゃぁい」
 ドアに背をつけていたからすぐには目に入らなかったが、叶が恐ろしい姿で座っていた。
「……お前、教育者としての自覚はあるか?」
「あるある。こうして、生徒と共同でクラスの出し物を盛り上げてるじゃないか」
「じゃあ、その煙草はなんだ」
「小道具」
 ニコリと赤い唇で笑われる。
 確かに綺麗ではあるが、それ以上に背筋が寒くなるのが本音だ。
 本人テーマ・未亡人なのかもしれないが、どちらかと言えば極妻だ。
 本人が楽しそうなので、誰も口にしないが。
「相手、してさしあげましょう?」
 なんの相手だ。
「いいや、けっこう。俺の指名はそこのお嬢さんだ」
「お嬢さんだぁ!?」
 他の悪友のために、お茶を運んでいた坂井が過剰反応し、振り返る。
 スカートが歩きにくいのか、いつ転んでしまわないか不安にさせる。
 だいたい接客なんか坂井にできるわけがないから、来る人来る人にからかわれているのだろう。
「いらっしゃいませぇ」
 甲高くはしているが、どうあっても健全な男子生徒の声に顔を上げれば、下村がいた。
 これまた綺麗になってしまって、おまけに叶と同じようなノリでなりきっているものだから、からかい甲斐はない。
「坂井、うちの売れっ子なんで、空くまでワタシ、相手しますね」
「……下村、男の矜持って言葉を知ってるか?」
「知ってますよ。民主主義にのっとって決まったことですから、黙って女装してるんですよ」
 下村らしい開き直り方ではある。
 坂井は勿論だが、他の女装組の男子生徒も照れながらの作業なのに、下村は照れるどころか意気揚揚として見える。
 そこまで開き直られると、セクハラー♪とか言って触ることもできない。
 が、その分坂井がいる。
「ってっめぇ! どこ触ってんだ!」
 鋭い一喝だが、恰好が恰好なだけに迫力はあまりない。
 どうやら坂井にセクハラをはたらいたらしい悪友は、にやにやと笑って悪かったなと口だけの謝罪を吐く。
 そのニヤケ面に一発張り手が飛んだ。
 立野の隣に腰掛けた下村は足と手を組んでその様子を眺めている。
 足がやたらと綺麗なのは、今朝廊下で擦れ違った剃刀を持った山根の仕事なのだろう。
 今の立野は下村と叶と言う凄い二人に挟まれている状況で、決して居心地がいいとは言えない。
「ところで、立野」
 暫らくの沈黙の後に、叶が切り出した。
 が、
「キドニーなら知らんぞ」
 先を予測して立野が先回りする。
「あ、そ」
 途端、叶は興味を無くしたのか再びシガリロを口の端に銜えた。
 再び落ちた沈黙を破ったのは、
「おいっ! お前、それは触りすぎ!! 坂井、お前、もうこっち来い!」
 下村の怒声だった。
 怒鳴られた生徒は滅多にない下村の感情的な声に怯えて坂井にちょっかいを出していた手をひっこめ、坂井はまたこいつは……、と言った表情ながらも、せっかくの救いの手に素直に応じた。
「もうヤダ。疲れた」
 どすんと下村の隣に腰を落として、そんな駄々を捏ねる。
 拗ねた子供のようなその言い方が恰好とちょうど合っていて可愛い。
「下村、坂井と場所変われ」
 立野の要望に下村が一瞬物凄く不機嫌な顔をした。
 人を殺せそうな目で睨んできたが、立野はそれを上手く無視して催促を続ける。
「立野は大事なお客なんだから、坂井、ホラ接待接待」
 そういうお店のママのような口調の叶に坂井が反論もできずに、渋々と立野の隣に座った。
 だが、接待と言っても給仕しかはっきりした役割はないのだ。
 お茶は下村が出してあるし、他にすることがない。
 怒鳴り疲れもあって、坂井は教室の壁に背中を預けてぼうっとしている。
 サンダルの足下がパタパタと動いている。
 叶は叶でここに寄り付く可能性の低い宇野をおびき寄せる方法でも考えているのだろう。
 下村も何を考えているのか、斜め下に視線を投げている。
 どこかアンニュイな表情が色っぽく見えるのには見える。
「……」
「……」
「……」
「……」
 パシンッ。
 小気味のいい音が叶と立野と坂井の耳に届いた。
 見れば坂井の肩に伸びていた立野の手の甲が僅かに赤くなっている。
 ついでに下村の手も不自然に宙に浮いている。
 坂井を挟んで下村と立野が視線を交わしている。
「先生、生徒の交際状況とかご存知なんですから、野暮なことしないでくれません?」
「今日は無礼講だって川中校長も言ってたがな」
「ダメです。坂井は俺の。性質の悪いセクハラは却下!」
 そう言って坂井の肩を抱き寄せる。
 客観的に見れば百合の匂いがしないこともない空間だ。
「何やってんだよ、下村っ」
「お前な、ちょっと自覚しろ! 今のお前、とって食っちゃいたいくらい可愛いんだぞ!? 立野先生ならまだ常識ってもんを知ってるって信じてもいいけど、これが桜内先生だったりしたら、お前、間違いなくお持ち帰りされるぞ!」
 力説する下村に、坂井も気圧されて叶に意見を求めるように視線を投げた。
「接待だ接待。金一封は坂井、お前の接客態度にかかってるんだ。下村もクラスのために抑えるんだな」
「そうだ。坂井、下村。ママさんの言うとおりだ」
「この学園唯一の常識・良識人がこんなになっちまうなんて、もう終わりですね」
 と、まぁこんな具合に下村と立野、叶の不毛な言い合い(掛け合い)が続き、さんざん可愛いだなんだと言われ続けた坂井の男としてのプライドがぶち切れて乱闘に近い騒ぎとなった。
 立野はその場から逃げ出してきて、今に至る。

「出てくる頃には騒ぎのせいもあってか行列ができてたからな。早く行って見ないとメニューの品切れでうち切りされるかもしれないな」
 菜摘のコーヒーで一心地ついて、立野は満足そうだった。
 普段あまり拝めないものも拝んだし。
「そうだな。この後、寄ってみるか」
 あのやんちゃ坊主の坂井が女装だなんて。
 このチャンスは逃してはなるまい。
「のんびりするのもいいが、さっき桜内とすれ違ったからな。今頃はテイクアウトされてるかもしれ……ないって……」
 コーヒーを一口のんびり口に運んでいる間に、川中と秋山は姿を消していた。
 机の上には空になったカップと小銭が置かれている。
「ありがとうございましたー」
 菜摘の朗らかな声に送られた背中は既に廊下にも影を見せていない。
 後には、遠山の楽しそうな笑い声と沢村の軽快なピアノ演奏が響いていた。


 さわっと何かが軽く腰に触れた。
 今日、何度も体験したその接触は明らかにセクハラと呼ばれるそれで、坂井は本日何度目かの蹴りを食らわせてやろうと振り返った。
 が、傍らでにこにこと邪心の浮き出ている笑みを浮かべているのが教師だということを思い出してなんとか踏みとどまった。
「……どこ……、触ってんっすか」
 押し殺した声には迫力が滲んでいるのだが、あいにくその姿では半減してしまう。
「腰」
 さらりと返事をしてのけた桜内はばれたのなら仕方がないと、坂井の腰に腕を回してよいしょと抱き寄せた。
 横顔に浮かんでいる青筋には勿論気がついているが、桜内は気にしない。
「持ち帰りは幾らだっけか?」
「あー、それはさすがにPTAの目もありますんで大きな声で言わないでくださーい」
 マネージャーの女子生徒の返答に残念、とわざとらしく肩を落とす。
 さり気なく桜内の手をはずそうとする坂井の手の動きに気付いてより強く抱き寄せると、坂井はがばっと顔を上げてきた。
 赤くなった頬に洒落にならない眼光で睨んでくる。
 さすが、この学園を代表するやんちゃ坊主ではある。
 しかし、相手はこの学園を代表する色魔だ。
 多少の拒絶でへこたれていては、数々の破廉恥な噂話しは誕生しない。
「しかし、化けるもんだなぁ。知子が喜びそうな光景だけど、あいつは保健室外せないからな」
 当たり障りのあるようなないような話しをしながら、桜内の手が坂井の脇腹をすっとなで上げる。
「!!」
 警戒はしていたものの、坂井はそういう触られ方に弱い。
 瞬時に体を強張らせて、桜内を睨み付ける。
 見上げてくる頬がさっきよりも赤い。
「脇腹、弱いんだ? 坂井」
 にやり、と桜内の唇が笑った。
 さっきまで坂井に触れる手があれば注意していた下村も、今は混雑する教室の中で坂井のいるところからは死角になっていて見えない。
 けっ飛ばしてしまえない相手ではないが、桜内は腕っ節がたつわけではない。
 そんな相手に暴力を振るってしまうことは坂井のポリシーに反する。
 自分の身の危険を前にそんなことを先に考えてしまう坂井だった。
 どうしよう。
 と、紅潮した顔が訴えている。
 その隙を見逃す桜内でもなく。
 服の裾から、手を忍ばせる。
「ちょっ、先生っ……」
 予想外にも色気のある声がやめろと言うので、桜内はますます図に乗ってしまう。
 車は急に止まれない。
 そして、男も急には止まれない。
 坂井はすっかり蛇に睨まれた蛙の状態になってしまう。
 痴漢される女の子の悲痛な気持ちがわかってしまった、坂井直司、高校の秋。
 ベコンッ。
 坂井の危機を救ったのは、そんな間抜けな音だった。
 閉じていた目を開くと、そこにはトレーを頭にのっけて項垂れている桜内がいた。
 その向こうに白い歯を見せて笑っている川中と、呆れた表情の秋山がいた。
「現行犯逮捕だな」
 パコパコと更にトレーで桜内の頭を叩く。
 音からして、そんなに痛くはなさそうだ。
「据え膳食わねばって言うぞ」
「お前のために据えてあるわけじゃないからな」
 もう一度、パコンと間抜けな音を響かせる。
「わかったわかった。退散させていただきます」
 立ち上がり席を譲る。
「今日一日、背後には気を付けろよ」
「あ? なんで?」
 退室しようとしている桜内に秋山のにこやかな忠告。
 わけがわからんと言った表情の桜内に秋山はちらりと視線を教室の端に流した。
 視線の先にいるのは、凶悪な顔つきの美人。
「坂井と違ってアレはお前の腕力問わずに仕返しにくるからな」
「……ボディガードを雇おうかな」
 下村の突き刺さるような視線を背中に大人しく受け入れて、桜内はとぼとぼと退室した。
「よし、邪魔者は退散した。早速だが」
 うむうむと満足そうな笑みを浮かべた川中が、ほうっと一安心といった坂井を見下ろした。
 坂井と川中の付き合いは長い。
 坂井は瞬時に川中が何か企んでいることを悟ってしまった。
「沢田っ」
 クラス委員を呼びつけると、なにやら坂井に聞えないように相談し始める。
 傍らに立つ秋山は呆れたような顔をしている。
 これはもしかして……、とこれから被害を被ることになるであろう坂井も、その坂井を今日一日どうにか魔の手から守ってきた下村も予感する。
 沢田が仕方ないですねぇと笑いながら頷いて、川中が子供のように喜ぶ。
 まるで欲しいおもちゃを買い与えてもらった子供とその親のようだ。
「ナオちゃん、お持ち帰り決定―!」
「「あぁ!?」」
 教室の端と端からこれ以上ないくらいにドスのきいた声が発せられた。
「いいじゃない。坂井、学園長と仲いいんだから。お持ち帰りされなさい」
 命令口調。
「飯を食わせてやろうかと思ってるんだがな」
 決定打。
「行きます!」
 勢いよく答えた坂井はその瞬間、自分がどんな姿なのか忘れ去った。
 よし行こうと差し出される手を坂井は嬉しそうにとった。
「坂井っ、お前、行くのかよ!?」
 下村の問いに坂井はちらりと下村の方を見たが、今日一日どさくさに紛れてなんだかいろんなヤバイことを言われていたことを思い出す。
「腹減ったし」
 坂井らしい一言に下村は思わず声を失った。
 拗ねたような口調が恐ろしく可愛かったから。
 下村がとめようとした言葉をごっくんと飲みこんだ隙に、川中は坂井を抱えるようにして退室した。
 残された下村は悪友達のかっこうの餌食となり捕まった。

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あははははー、桜坂ー。もうどうしようもない絡みっぷりであります。まだまだ続きまっせv

<イラスト>
ステキなイラストはるなさまが描いてくださいましたv本当にありがとうございますー挿絵のようにはらさせていただきました。へへ―vv花が咲いてますーv

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